高校の卒業アルバムなんて、とっくに捨てたと思っていた。
引っ越しの荷物から出てきた重たい函を膝にのせ、数えるほどしか開いたことのないページをぱらぱらと捲る。埃と黴の匂いが鼻腔をくすぐり、くしゃみがでる。
クラス別に顔写真を並べたページで手を止める。そこには髪を短く切りそろえた17歳の自分が、しかつめらしい顔でおさまっていた。今では違和感すら感じるショートカットの自分を見て、校則では女子の長い髪はみつあみにしなければならなかったことを思いだした。
その話を彼女にしたことも。
彼女はきっと、みつあみのよく似合う少女だったにちがいない。そう言ったら、彼女はは私のみつあみ姿を見てみたいと言った。私は不器用だからうまく編めないのだと打ち明けると、あら任せなさいと笑って、あれよあれよといううちにおさげ髪にされてしまった。
「似合わないでしょう」鏡越しにいうと、嘘がつけない彼女も苦笑していた。それからすこし唸って編んだばかりの髪をほどくと、うなじに沿ってひとつに編み直してくれた。リボンを結んだ「しっぽ」を右肩に払って、得意げに片目をつぶってみせただけあって、おさげ髪の絶望は綺麗に払拭された。なるほどみつあみとはこういう風にもできるのかと素直に感心したものだ。
「あのとき、こうして通ってたら…ううん、」
思わず言いかけて、すぐに打ち消す。
「あのときは、そんな勇気、なかった」前髪は眉より上に。襟足はガクランの襟にかからないように。男子の髪型に関する校則はロングヘアーを禁じていたから、私は3年間ショートカットを貫いた。不器用な私は毎朝みつあみなんてできないのだからと自分に言いわけしながら、毎朝おさげ髪を揺らして登校する同級生を、こころのなかでは焦げ付くほど羨んでいた。
そう言ったあのとき、私はどんな表情をしていたのだろうか。よく思い出せないけれど、彼女はそんな私に、みつあみの編み方を丁寧に教えてくれた。繰り返し、繰り返し、私がそらでできるようになるまで。
すいっと頭皮をなでて、髪を分けていく彼女の人指し指を、私はいまでもよく覚えている。爪の短い、皮の厚い、あたたかく、少し荒れた指先。編んだ髪をほどくのも、同じ人差し指だった。
人差し指は、引き金を引く指だ。ほかの大勢の人たちがしたように、私にむかって引き金を引くかわりに、彼女は私の髪を編んでくれた。それがどんなに嬉しかったことか。そして、どれほど私に力を与えてくれたことか。
あの瞬間、私は生まれ変わった。それくらい大きなできごとだったのに、彼女のやりかたがあまりに自然でさりげなかったので、私はそれをごく自然に思い出としてしまい込んでいたのだった。世界中から銃口を向けられ引き金を引かれていると思っていたあのとき、自然に、さりげなく、あたりまえに、彼女は私を愛してくれていた。
卒業アルバムを捨てずにいたのは、どうでもよくなっていたからだ。とっくにどうでもよくなっていたのだと、今はじめて気がつく。今ではもうみつあみどころか夜会巻きだってできるようになった。手先の不器用さは相変わらずだから、編みこみはまだ練習中だけれど。
彼女はどうしているだろう。家族とは疎遠になってしまって、親戚にも長い間会っていない。いまでも言葉がみつからないままだけれど、引っ越しの荷物が片付いたら、会いに行ってみようかと思う。住所が変わってしまっただろうか。昔の年賀状はどこに入っているだろう。彼女はどんな顔をするだろうか。こう言ったら驚くだろうか。喜んでくれるだろうか。
ねえおばあちゃん、私、恋人と暮らしているの。
(2015.03.04)(2022.06.26 改訂)