魔法使いは恋をした


 村はずれの丘を上りきったところに黄金塔は建っていた。
 少し西に傾いている古い塔は、どうして黄金と名付けられているのか、見た目からはさっぱりわからないほどみすぼらしい様子をしている。
 そのみすぼらしい黄金塔には客が絶えない。街の方から、あるいはもっと遠く豊かなところから、贅沢なみなりの人たちが途切れなくやってきて塔を訪れる。
 塔にはひとりの魔法使いが住んでいる。村一番の長生きじいさんの、やっぱり長生きだったひいじいさんが生まれる、そのもっとずっと前にふらりとこの村にやってきたのだというから、ずいぶんな年寄りのはずである。けれども魔法使いの見た目は若い。真っ白な長い髪と、真っ青な目をしたその見た目は、
「せいぜい二十歳かそこらの若造なのになあ」
と、村の男衆がからかいとおそれを込めて評するとおり。魔法使いは年をとらないのだ。

 ぼくは毎朝日が昇る前に、大きなバスケットをそこへ届ける仕事をしている。
 バスケットの中身はだいたいいつも変わらない。ライ麦のパンと薫製肉と、生のまま食べられる野菜を数種類。これに、週に二日は新鮮なミルクがつく。
 崩れかけた石積みの塀に沿って、朽ちた枠組だけが骨のようにのこった門扉をめざす。魔法使いが忙しくしているときは、そこに空っぽのバスケットとミルクの空き瓶が置いてある。そのときは、新しいバスケットと空のバスケットを取り替えて仕事は終わる。
 魔法使いがひまで、そして機嫌がいいとき、つまり今朝のようなときには、門扉が大きく開いている。
 ゆるやかな坂を上って塔の入り口までいくと、丈夫そうな石の扉も親しげに開いている。
「おはよう、魔法使い」
 声をかけながら中へ入る。
 塔の中に一歩足を踏み入れると、そこは驚くほど明るい塔の天辺だ。魔法使いは塔を訪れる客を、招き入れたい場所に迎える魔法を塔にかけている。子ども好きの魔法使いが特別にあつらえたという天辺の部屋は若草色の絨毯が敷き詰められていて、おだやかな春の昼下がり、淡い木陰にいるような優しい光に満ちている。壁と天井に敷き詰められた色石が、それぞれやさしく光を生み出しているのだ。
「おはよう、ぼうや」
 ささやくような声がいらえた。ぼくたちはお互いの名前を知らず、ただ「魔法使い」「ぼうや」と呼び合っているのだ。
 なんの前触れもなく、3羽の小鳥が現れた。
 赤い鳥、青い鳥、みどりの鳥。どれも宝石みたいに透き通っていて、小首をかしげてこちらをみている。
「赤!」
「はずれ」
 ころころころ。
 土の鈴を転がしたように軽い鳴き声で笑ったのはみどりの鳥だ。鳥たちは一斉に羽ばたいて、煙のように消えた。鳥たちが止まっていたテーブルには、代わりに魔法使いが腰掛けている。
「またはずれた」
 ぼくは結構本気でがっかりしながら、魔法使いの傍に歩いていった。
 魔法使いはこういう遊びが大好きだ。今日はひときわご機嫌がいいらしく、にっこりとほほえんでいる。ほほえむ魔法使いは虫の翅のように透明で、それでいてとても人なつこい。
「これ、今日の分」
「うん」
 バスケットをテーブルの上に置き、中身を並べてみせると、魔法使いはろくに見もしないで頷いた。バスケットの底からボードとナイフを取り出すと、そちらには興味津々でぐっと身を乗り出す。
「今日は何だい?」
「今日もサンドイッチ」
「いいね。好物だ」
 魔法使いは嬉しそうにうなる。すごい力をもつ、長生きの魔法使いのくせに、いままで何を食べてきたのやら、魔法使いはろくに料理を知らないのだった。
 天辺の部屋まで招かれたときには、ぼくがその場で簡単に魔法使いの朝食を作るのが暗黙の決まりごとになっていた。魔法使いがなにも言わないので、ぼくの分もちゃっかり作って一緒に食べることにしている。

 朝食を作ると言っても、薫製肉と野菜を薄く切り、ライ麦パンに挟むだけだ。魔法使いの気が向けば、パンにこんがりと焼き目がついてホットサンドになる。カップになみなみとミルクをついで、これが朝食のすべて、そして魔法使いが食べるもののバリエーションで一番上等なレシピだ。
 一緒に朝食を食べながら、話をすることもある。
 村の暮らし、バターづくりのこと、わら布団のこと、牛の鼻息のこと、フライパンの手入れのことまで。
 魔法使いは知りたがりで、ぼくの話をなんでも、何度も聞きたがる。こんなつまらない話、とぼくがうんざりしていてもまったくおかまいなしだ。
 そんなことよりぼくは魔法の話を聞きたい。
 尋ねれば、魔法使いはなんでも話してくれる。魔法使いが一番喜ぶのは、魔法について聞かれることだとはっきりわかる。目がきらっと輝いて、ささやくような声で歌うように話す。
 だいたいはちんぷんかんぷんで、夢のようなおはなしばかりだ。
 真冬の庭に深紅のばらを咲かせる魔法のために、春の巫女姫に何百編もの詩をささげた話や、フタコブラクダを捕まえて満月を狩りにいった話。むかしむかしの魔法を知るために、根の底の国まで行って帰れなくなりかけた話……。
 魔法使いはねだれば何でも話して聞かせてくれた。今日は塔を訪れる、豊かで贅沢な人たちが欲しがる魔法の話をせがむ。魔法使いはああ、と軽く頷いた。
「あの客たちはみな変わっていてね」
 魔法使いは遠いところにまなざしを投げて昔話を話すように、長い長い列をなす人たちについて語る。
「不老不死になりたいと、みな口を揃えて言うのさ」
 正気の沙汰とは思えない。ひょいと肩をすくめる仕草は、見た目の若さからはかけ離れて皮肉に満ちている。
 不老不死ということばが、そこまでとげとげしい感情を引き出すとは思えなかったぼくは少しとまどった。
「不老不死って変なことなの? 長生きはいいことでしょう?」
 村ではお年寄りはとても大事にされる。長く生きた人は、それだけたくさんのものごとを知っているからだ。
「長生きと不老不死はちがうよ、ぼうや」
 舌先に鋭いとげを出したままの声音で魔法使いは言った。
「たしかに長生きはいいことかもしれない。けれど不老不死はべつにいいことではないよ」
「魔法使いも不老不死なのに?」
 いままでにない、とげとげとした魔法使いの言い方に少しいら立って、ぼくは反論のつもりでそう言った。こんな言い合いみたいなものは、ぼくたちの間にはついぞなかったことだった。
 魔法使いは意外なやりかたで、そんなぼくのいら立ちを吹き消してみせた。
「私は不老不死ではないよ」
「えっ」
「外見の若さは昔研究していた魔法の反作用によるものだし、長くは生きるが時がくれば死ぬ」
「魔法使いも死ぬの」
 ぼくはちょっとびっくりして言った。なんとなく、魔法使いは死なない気がしていた。
「死ぬよ」
 魔法使いはくすりと笑う。舌先のとげはあとかたもなく消えていた。
「黄金になるのはごめんだからね」
「おうごん?」
 話がいきなり変な方向に飛んでいって、ぼくはとっさについていけなくなった。魔法使いとの会話ではよくあることだ。
「黄金は不変の象徴だ。不老不死を手に入れるための研究は、ほぼそのまま、土塊から黄金を生成するための研究に重なっていく。私は錬金術士ではないけれど、その手法はある種の魔法とそう変わらない。つまり…」
「難しいよ、魔法使い」
「では話を端折ろうか。」
 立て板に水の滑らかさで動くくちびるは、ぼくが途中で音をあげるとすぐにほほえみのかたちに止まって、気を悪くもせずにことばを組み立て直してくれる。魔法使いは少し考えて、「時間を巻き戻す」と言った。
「ぼうや、時間を巻き戻したい、と思うことはあるかね?」
「あるよ。しっぱいした時とか」
 皿の中身をこぼす仕草をしてみせると、魔法使いはふかく頷いた。
「こぼれたミルクを皿にもどすには、時計の針を逆にまわすことだ」
「そんなことできるの」
「できない。わかりやすく話しているだけ」
「なんだ」
「ただ、時間を過去から未来へ流れる一本の川だと考えれば、上流にむかって舟を漕ぐ方法はある」
 ここまではわかる?
 そう聞かれて、ぼくは大きな川を思い浮かべる。流れの急な険しい川だ。櫂を手にした魔法使いが舟の舳先に立つ姿を想像する。
「なんとなく、わかる」
「よし。この方法を使えば、不老のほうはある程度解決する。ある程度川を下ったところで、下った分をさかのぼればいい」
 目の高さにあげられた魔法使いの指がすっと水平にうごき、上に弧を描いて最初の位置に戻った。すっすっと何度か繰り返して見せながら、ただこれは骨が折れる、と付け加える。
「さかのぼる魔法を定期的に行わなければ維持できないが、人体への負荷が大きすぎる。こちらとしても面倒が多い。結局、不老不死を欲しがる客たちには空間軸を動かす魔法を売ることにしている。」
 そこでいったん言葉を切り、魔法使いは何かを探すようなそぶりをして、「違う川へ行くようなものかな」と言った。
「むしろ湖か。流れのない水に浮かべば動くこともない。あくまでたとえ話だが、簡単に言えばそういうことだ」
「ふうん」
 魔法使いの青い目を見ながら、水を張った小さな桶に、金色の舟がぎっしりと浮かぶ様子を思い浮かべる。塔を訪れる客たちは、みなそうやってどこかの湖に浮かんでいるのだろうか。ぼくにはとても窮屈で退屈そうで、とても我慢できそうにないけれど、豊かな人たちが欲しがるからにはなにかとても素晴らしいものなのかもしれない。
「わかった。なんとなく」
「そうか」
「だからここ、黄金塔っていうんだね」
「私なら、もっといい名前をつけるけれどね」
 ぼくが納得したと見て取ると、魔法使いは満足して椅子にもたれかかり、再び舌先にちらりととげをきらめかしてみせた。

 カップがちかちかと光るので見ると、キャラメル色のなにかがなみなみと入っていた。チャイだよ、お飲み、と魔法使いはすでに自分の分を飲み始めている。
 天辺の部屋に薄雲がさして、チャイを飲むすこしの間、春の日だまりが消えた。それでも部屋の中には春の空気が満ちていて暖かい。
 チャイは甘くて熱く、ほんのちょっと辛かった。舌の先がぴりりとしびれる瞬間、慣れない匂いが鼻の奥に広がる。
 寒い寒い夜に嗅ぐのがふさわしいような、やや粉っぽい、どこかしら厳しい匂いだ。
 青い湖に浮かんだ小舟のような、魔法使いの縦長の瞳をぬすみ見る。
 すぐに気がついてぼくを見返す青い目は静まり返っていて、さざ波も立たず凪いでいた。
 そしてぼくは気がつく。
「魔法使い、いま、時間を止めているでしょう?」
 魔法使いは一度まばたききをして小首をかしげた。
「いいや」
「うそ」
「嘘ではないよ。時間を止める魔法は大掛かりで難しい」
 なぜそう思ったんだい? 目を丸くして問われて初めて、ぼくは説明するための言葉が見つからないことに気がついた。魔法使いの青い目が、永遠みたいに凪いでいたからだなんて、ぜんぜん理由になっていない。ぼくがそう思うのだから、魔法使いはいうまでもなく、こんな理由じゃ納得してはくれないだろう。
 けれども魔法使いは知りたがっている。なんでもいいからとにかく正直に答えなければ、知りたがりの魔法使いからは解放してはもらえないのだ。
「魔法使いの目を見ていたら、そんな気がしたんだ」
 しかたなく、そのままを答える。魔法使いは目を丸くしたまま、なんどか瞬きを繰り返して、そして目を閉じた。やっぱり、こんな言い方じゃよくわからないかな、と別の言葉をさがしはじめたころ、魔法使いはためいきのような声で「そうか」と言い、きゅうに目を開けてぼくを見ると、
「じゃあきっと、ぼうやが魔法をかけたんだ」
と不思議な表情で笑った。
「ぼくは魔法使いじゃないよ」
「魔法使いでなくたって、魔法は使えるさ」
 そしてまた魔法使いはおかしそうに笑いはじめる。止まっていた時間は、ころころころ、と再び天辺の部屋を動きはじめた。

 そしてその次の朝、魔法使いは黄金塔ごと姿を消した。

 村の朝は早い。すぐに近所どうしが知らせあい確かめあって、日の出前にはすでに村中の人間が広場に集まってざわついていた。
 ずっと長い間村はずれにいた魔法使いが、いきなり塔ごと消えたので、なにか不吉なできごとの前触れじゃないかと心配する人もいて、おかみさんたちは一時顔色をなくした。ただ親方衆なんかは、何を考えているのかいまいちわからない魔法使いがいなくなったことで、どこかしらほっとしている様子だった。
 ひとしきり意見を言いあったあと、結局こまったときは何でもじいさまに聞けばいいということになって、みんなしてぞろぞろと村一番の長生きじいさんの家を訪ねることになった。じいさまは足を悪くしているので、家の寝台から一歩も動かないのだ。
「じいさま、黄金塔の魔法使いが塔ごと消えた」
「なんぞ悪い知らせじゃあなかろうか」
 しわに埋もれて目も口もわからないようなじいさまの顔が、ゆっくりと天井を向いた。
「…………」
 もにょもにょと呟かれる言葉を、孫息子が通訳することには、
「魔法使いは気紛れな生き物だから、おおかた村の暮らしに飽きてどこかへ言ってしまったのだろう」
 村一番の長生きじいさんがそう言うからには、そういうことなんだろうということになった。
 もともと、魔法使いもその贅沢な客たちも、村とはあまり付き合いがなかったから、突然魔法使いと黄金塔が消えたことに説明がつくとみんな何事もなかったみたいにいつもの朝の支度を始めた。

 塔がないことは村のどこから見てももよくわかった。親方からは行かなくてもいいと言われたけれど、ぼくは確かめずにはいられなくて、何も持たずに丘を目ざした。
 そこには塔も、門扉も、石積みの塀すらあとかたもなく、柔らかいくさむらの上に、ただ空のバスケットと、ミルクの空き瓶が置かれているだけだった。
 塔のなくなった丘の上は案外ひらけていて、遠い森へと吸い込まれていく街道がよく見渡せた。
 街道には魔法使いを訪ねて、今日も長い列がつらなっている。いきなり塔が消えたので、皆水をかけられた蟻の行列みたいにばらばらととまどっていた。
 あの人たちと同じくらいにぼくもとまどっていた。
 いつもと変わらない昨日だった。なのに魔法使いは消えた。だれにも、なにも言わず、行き先も教えてくれずに。
 不老不死になりたいあの人たちには、そのうち村の誰かが魔法使いが去ったことを告げにいくだろう。そうしたらまた、あの人たちはべつの魔法使いの塔を目指して、永遠の黄金になるために長い列を作りはじめるにちがいない。
 けれども黄金塔はもうだれにも見つけられやしないだろう。
「水くさいなあ、魔法使い」
 ぼくは思わず口に出して言った。
 ぼくにくらい、行き先を教えてくれたら良かったのに。
 そうすれば、また朝日が昇る少し前に、一日分の食べ物を塔に届けてあげたのに。
 魔法使いが機嫌のいい日には、当て物あそびにもつきあってあげたのに。
 それからまた天辺の部屋でサンドイッチを食べながら、村のことや魔法のことや、ぼくのことや魔法使いのことを話して過ごしたのに。
 考え始めるととたんに寂しさがあふれて、ひたいの奥から重たい石のようなものが迫ってきた。
 ぼくは知っている。この石は鼻の辺りで溶けて、熱い涙になって目から出てくるのだ。
 鼻の付け根に力を入れて、むりに涙を止めたので、顔中が熱くなって耳の奥が痛い。いっそ泣き出した方がすっきりすることはわかっていたけれど、泣いたところで絶対に魔法使いがもどらないことだけは確実にわかっていたから、ぼくはやせ我慢を通した。
 力任せの深呼吸でも何度も繰り返せば、頭の芯が灼ききれるような切なさも、固まりの塩が溶けるように少しずつとけていく。
 もう大丈夫だと思った頃、ようやくぼくは力をぬいて大きく息をついた。
 そのまま草むらに寝転がる。空はもう朝日に照らされて、素知らぬ顔で青く澄み渡っていた。北に雲が薄くかかっているから、今日は昼から一雨来るな、とわかる。
 ヒバリが鳴いて、草の根もとをつついて回る。そよそよと風が吹いて、熱い頬をなでた。
 だんだんと清々しい気持ちになってきた。きまぐれな魔法使いのきまぐれで、いちいち泣いていたらこっちの身がもたない。いつかまた、何かの拍子に魔法使いに会うことがあっても、ぼくはまっすぐにあの青い目を見てこう言いたかった。
「やあ魔法使い、しばらくじゃないか」
 そんな大人の言い方で、ぼくは魔法使いに再会のあいさつをしたい。そうしたら、魔法使いはあの透明なほほえみを返してくれるだろう。
 きっと魔法使いは、いきなりいなくなったことなんか忘れていて、だからまた一緒に、サンドイッチを食べながらたくさんの話をするようになるんだ。
 想像しているうちに、なんだか本当にそんな日が来るような気がしてきた。いつかまた本当に、魔法使いに会える時が、かならず。
 それまでは、しばらくさようなら。心の中で呟いて、ぼくは起き上がり、空のバスケットと空き瓶を持って丘を下っていった。

(2013.03.17)

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