ifの群れが包囲する


 蓮見緑は静かに眠っている。
 みんなで「ごちそうさま」を言ったあと、夕夜と梨姫が食器を片付けて洗っている間に眠ってしまったらしい。
「緑くんって、あくびとか、そういう眠たいサインを出さないんだよね」
 ノートになにか書き付けていた透太が、思い出したようにそういった。気がついたら寝てるんだもん、と続けるのに、うん、と梨姫が頷く。
 背もたれと肘掛けのある椅子に体をあずけて眠る緑は、ただ目を閉じているだけにも見える。人間によく似せてつくられた陶器の人形のようにも思えるくらい、まぶたを閉じた緑からはいきものの気配がない。けれども注意していれば深い寝息が聞こえてくるし、ずっと見ていると頭がゆらゆらと揺れているから、そこでようやく眠っているのだとわかるのだ。
 「緑」
 梨姫がそう呼びかけながら、緑の薄い肩を軽く揺らした。
「おきて」
 緑は目を覚まさない。二度呼びかけることはせず、梨姫はひょいと肩をすくめてランドセルを部屋へ置きに行った。
 起きているときはどんなつまらない呼びかけにも律儀に返事をする緑だから、呼びかけて返事がないのは寂しいな、と夕夜はまたみぞおちにひんやりと氷を飲みこむ。
「もし、緑くんの目が覚めなかったら」
 うすら寒い気持ちを引きずったまま、気がつけば夕夜はそうこぼしていた。透太が怪訝そうな顔でこちらを見るのを見返して、夕夜は思いついたまま口走る。
「緑くんの目が覚めないかもしれないって、梨姫は、考えたことあるのかな」
「そりゃあ、」
いいかけて、はっとしたようにあたりを伺った透太は、声を小さく絞ってささやくように、けれど厳しい口調で答える。
「あるに決まってるだろ」
「そうだよね、あの時も、きっとそう思ったから呼ばなかったんだろうし…」
「あのとき? ああ…」
 すぐに思い至るのは幼なじみゆえだろうか。透太はちょっと眉根を寄せると、人をとがめるときの呼び方で「夕夜」と言った。おばあさんの影響なのか、透太は折に触れて年上めいた態度をとる。誕生日は夕夜のほうが早いのだが、不思議と癇に障ることはなかった。今回も、半ばすがるような心持ちで夕夜は「なに、」といらえる。
「そういうの、あんまり考えないほうがいいよ。」
 思ったよりもやさしい言い方で、透太はゆっくりと言った。
「そうかな…」
「いくら考えたって、おれたちにはどうしようもないことだろう」
「そうだけどさ…」
「薄情なこと言ってるわけじゃなくて、本当にそうなんだよ。考えてもどうしようもないことは、考えない方がいい」
 まあ、おばあさんの受け売りなんだけど、と付け足すが、あたたかく諭す透太はその言葉をすっかり自分のものにしているようだった。
 夕夜にはそこまで割り切ることができない。梨姫と緑のことを、自分にはどうしようもないと線引してしまうのは寂しいような気がしたし、一人ではいくつもの「もしも」を持て余してしまうから、皆で話し合って皆で考えたかった。
「それに、梨姫は自分で考えて、もう答えを出してるよ」
「そうなの? 透太は知ってるの?」
「知らないけど、あの梨姫だよ?」
 ちょっと笑ってみせる透太はちっとも薄情な感じではなかったし、なにより「あの梨姫」ならたくさんのもやもやした「もしも」なんかに負けるわけがなかった。
 だから夕夜は、割り切れはしなかったけれど、ひとまず問題を措いておくことにした。笑いを含んだ声音で透太の揚げ足をとる。
「あの梨姫って、どの梨姫だよ」
「この梨姫だ!」
 出し抜けに後ろから大きな声がして、夕夜はもちろん透太も度肝を抜かれてびくっとした。部屋から明日の用意を終えて戻ってきた梨姫は、腰に手を当てて仁王立ちしたまま、「で、何の話?」と首を傾げた。
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