ノンレム睡眠アンジッヒ


 中古トラックはがたがた揺れながら山道を走っていく。
 ハンドルを握る男は、あれから一言も喋らない。
「いく所がないなら、乗っていけよ」
 いわれるままに乗り込んだトラックには、一風変わった面子が揃っていた。
 運転席にはくわえ煙草の男。若くはないが老いてもいない。かたぎには見えない物騒な顔に浮かぶ、退屈しているような、面白がっているような奇妙な無表情は初対面から少しも変わらない。
 助手席にはサングラスの女。栗色の長い髪をおろして、開けた窓から入る風になびかせている。目元がはっきりと見えないので年齢は測れないが、あごから頬にかけてのラインや軽く結ばれた赤い唇から受ける印象は意外と若い。
 後部座席には小さな女の子が座っていた。せいぜい2、3歳だろう。軽く癖のある金髪を後頭部でくくり、赤いリボンをつけている。大きな目は緑色で、愛らしい顔立ちは前に座る男女のどちらにも全く似ていない。
 後部座席の真ん中に座ったぼくは、何度目かのあくびをかみ殺して隣に座る連れを見やった。彼は運転手よりも輪をかけて無口だ。旅を始めて間もないころに出会ってからこっち、一度も言葉を発したことがない。
 雨に降られた僕の足元で、カラコロと雨粒を奏でていた彼は、虹が差す空を見上げたずぶぬれの僕に小さく挨拶して、立ち上がって歩き出すと黙ってついてきた。
 そもそも発声が可能かどうかわからない。だから便宜上”彼”と呼ぶが、性別もわからないのだ。外見も年齢もばらばらな一行の中で、ひときわ異様なのは間違いなく彼だと思われる。
 なんといっても、骨なわけだし。
 無口な連れから運転席に視線を移し、よく乗せてくれたよな、と、改めて男に感謝すると同時に、一層の不信感をも同時におぼえる。
 そんな僕の胸中などそっちのけで、がたがたと揺れるトラックは不意に横道へと入っていく。
 獣道のようなところを走るので、開け放した窓から木の枝が侵入してくる。女の子は機嫌よく声を上げて笑っていたが、助手席の女は髪が絡むのか、うっとうしげに栗毛を束ねてすばやく窓を閉めた。






 しばらくすると、突如視界が開けた。
 家が建っている。
 白い石壁に緑色をした屋根のこぎれいな家だ。
 男は一端車を止めて、観音開きの大きな門を押し開けた。
「ひっこし・・・?」だったのか?
 思わず小さく呟くと、「そうよ」と助手席の女が振り向いて言った。
 初めて聞くその声はやはり若い。女はそれ以上続けることはなく、再び前を向いた。不自然なほどの無愛想は男によく似ている。
 男が戻ってきて再びトラックのエンジンをかけた。門からのびるアプローチは意外にもきちんと舗装されていて、道の脇にはよく手入れされた草花が植えられ、りんごやプラムの木が青々とした実をつけていた。
 緩やかに曲がる先には木の扉がある。
 男は扉の真正面にトラックをつけた。女が助手席を降りると、後部座席のドアを開けて女の子を抱き上げた。
「さ、ついたわよ」
 女の子は楽しそうににこにこと笑っている。僕と骨は反対側のドアを開けて、一足先に屋内に入っていった男に続いた。
 玄関を入ってすぐ、目の前に石の円卓がある。左前方には階段があり、2階の一部が円卓の真上に同じくらいの大きさでまるく張り出している。一階には合計3つのドアがあり、男は右奥のドアに消えていった。
 カツカツカシャカシャと石敷きの床に足音を響かせながら、骨は円卓に近づいていった。首をかしげて周りを一周する。何に興味を引かれたのか知らないが、はじめてみる反応だった。
「結構広いのね」
 女の子を抱いた女が開けっ放しの玄関から入ってきた。コツコツと靴の音が高く響く。彼女は石の円卓に女の子を座らせると、
「お手洗いどこかしら」
 と言って左側の扉のほうへ歩いていった。
 残されたぼくは、いつものように骨に話しかけた。
「どうする?」
 骨はカシャカシャとぼくのところへ来て、かくん、と頸を傾げて見せた。
「ここにしばらく泊めてもらうかい? 急ぐ旅でもないし、ぼくはかまわないけど」
 二者択一の質問をすれば、無口な連れとも意思の疎通は可能である。
 彼はカチカチと無意味にあごを上下させて、かくん、と頭骨を前に倒した。
「じゃあそうしようか。頼んでみよう」
 




 右奥のドアは内側に向かって開け放されていた。
 キッチンだ。ホーローのコンロやタイル張りの壁には使い込まれた様子があり、どちらも元は白かったのだろうけれど、茶色いしみがあちこちについている。足元の戸棚は全て空けられて、食器や食品が散乱していた。
男は煙草をくわえたまま、部屋の真ん中に鎮座する作業台に座っていた。どうやら食料を漁っていたらしい。彼は右手にりんごをもってそれをじっと見ていたが、ぼくに気がつくと
「料理はできるか」
 と言った。
 ぼくは反射的に頷いた。
「じゃあ頼む。あの子どもに甘い菓子を作ってくれ」
「甘いお菓子?」
「機嫌を損ねられると困るんだ」
 男はそう言って肩をすくめ、ぎりぎりまで吸った煙草を流しに放り投げた。
 煙草は放物線を描いて流しに落ちていった。
「わかった。そのかわりといってはなんだけど、しばらく泊まってもいい?」
「好きにすればいい」
 拍子抜けするほど簡単に要求が通り、僕は面食らって数回瞬きをした。
「何だよ」
 男が皮肉っぽく笑った。
「いや…ずいぶんあっさりしたもんだな、と」
 正直に言うと、ひょいと肩をすくめる。
「余計なことを聞かなければ、何をしたってかまわないさ」
 獰猛な口調で言うと、男はりんごを台に転がして新しい煙草に火をつけた。そのまま部屋を出ていく。
 全く同感だ。僕は一つ頷いて食材を確かめようと、入れ替わりにキッチンへ入っていった。
 床に転がっているものをざっと眺め、必要と思われる道具を目で確認する。ボウル、泡だて器、木ベラ…コンロの下にはオーブンもある。上の戸棚には小麦粉も砂糖もあったし、何種類かの果物や新鮮そうな卵が、調理台の上に無造作に置かれていた。
 お膳立ては整っていた。整いすぎていて気持ちが悪いくらいだ。
 僕は意味もなくちょっと苦笑して、キッチンを出る。あの女の子のために作るなら、好みなんかも聞いたほうがいいだろうな。
 石の円卓に座っているとばかり思っていた女の子は、どうやって降りたものか、軽い足音をたてて階段を上っていた。
 骨は階段の脇でその様子を眺めている。体はこちらを向いているが、頭蓋骨は階段に向いているので、たぶん女の子を見ているのだろう。彼の傍に行くか行かないかのうちに、女の子は階段を上りきった。そのまま右に向いて廊下をとことこと歩いていくのをなんとなく眺めていると、カチカチ、と骨がぶつかる音が隣から聞こえた。
 ああ、腹が減っているのか。
 何故そう思ったのかわからない。だが彼が空腹であることは、ほとんど絶対的な確信としてぼくに理解された。





「だって、あの子は魔性じゃない」
 よく通る女の声がすぐ後ろで聞こえた。ぼくは驚いて振り向いた。いつのまにそこにいたのか、女は円卓に向かって立っていた。サングラスを外したその顔はやはり若い。女の視線の先にはやはりいつの間にやら円卓にもたれた男が、鬱陶しそうな顔で煙草を吸っていた。
「この家だってもう危ないんでしょ」
「ああ、そういうジンクスだ。罪深い子どもだからな」
 物騒な会話の内容に反して、二人の口調はごくさりげない。二人の視線は決して交わらず、それぞれが相手を見るときもう一方は顔を背けている。それは二人の常態らしく、かれらはぼくと話すときと同じ声で、同じ口調で話していた。ぼくたちがここにいることに、まるで気がついていないようだ。
 気がつくと骨がいない。カシ、という音が頭の上から聞こえて、振り仰ぐと丁度階段を上りきったところだった。そのまま右に向いて廊下をとことこと歩いていくのをなんとなく眺めていると、カチカチ、と骨がぶつかる音が再び聞こえた。
 ああ、腹が減っているのか。
 だから行くんだな。
 何故そう思ったのかわからない。だがぼくは彼を追っていかなければならないと思った。
 木の階段を上る。上りきって右に折れ、張り出した部分を避けるように奥へと進む。横目で下をうかがうと、二人はいつの間にかいなくなっていた。ばたん、と音がして、一番奥から2番目のドアが閉まった。ぼくは小走りにその部屋へ向かう。
 くすんだ色をした真鍮のドアノブをひねる。軽く力を入れると内側に開いた。幅が狭い、奥行きの広い部屋だ。奥の壁には厚い暗幕がかかっていて、部屋のなかは薄暗い。部屋の中には古ぼけた木馬があるだけで、それはトラックから運び込んだものだった。女の子は木馬にまたがり、楽しそうに笑っていた。骨の姿はない。
 ぼくはほっとして、女の子に歩み寄った。
 視線を合わせるためにしゃがんで、緑色の目をのぞく。
「……」
 何をきこうとしていたんだっけ。口を開くまでは覚えていたのに、開いた口からは何も出てこない。仕方なく手をのばしてふわふわの金髪を撫でた。女の子は機嫌よく笑っている。笑いながら木馬を降りて、ドアのほうへとことこ歩いていった。





 ぼくはしゃがんだままそれを眺めている。いつの間についたものか、ドアの上部にはのぞき窓があった。窓には骨が張り付いている。彼は眼窩を押し付けるようにして部屋の中を見ていた。カチン、と骨のなる音がかすかに聞こえる。
 ああ、腹が減っているのか。
 だから来たんだな。
 ぼくときたんだな。
 何故そう思ったのかはわからない。だが何故かを考える間もなく、女の子が背伸びしてドアを開けた。ドアは滑らかに内側に向かって開いた。
 目の前に、骨が立ちはだかっている。どこで拾ったものか、黒光りする角材を右手に持っている。
 黄ばんだ左手がそれに添えられて、ヒュン、と空気を切る音がした。大上段に振りかぶられた角材が、何の光を反射したのかきらりと光る。振り下ろすその先は、ふわふわの金髪頭。
「なにを…!」
 ぼくは驚いて叫んだ。けれど頭の隅の方ではこうなるだろうという予想がついていた。予想を立てたのは旅に出る前に殺してきたはずの、奇妙に冷静なもうひとりのぼくだ。
 彼は腹が減って、女の子を食べようとしている。でもそんなことをしちゃだめだ。
 そんなものを食べちゃだめだ。
 ぼくはポケットからガラスのピストルを取り出して撃鉄をおこした。銃口を向けて引き金を引く。
 とん、と音がして、弾丸がとびだす。
 砂糖菓子の弾丸は、今にも腕を振り下ろそうとする骨の、眉間を直撃した。骨はそのままの姿勢でゆっくりと後ろに倒れていく。
 狙いを外してしまったぼくは呆然とたちすくむ。
 きゃはは。
 女の子が笑い声を上げた。まるで悲鳴のように聞こえた。
 絹を裂くような断末魔の悲鳴は、本来なら彼があげるはずのものだ。ああだから、この子は魔性とよばれているのか。
 ぼくは目を閉じた。




***






 目を開けたのは埃の匂いにむせたからだ。
 涙でぼやけた視界は、すぐに晴れて鮮明になった。ぼくは無人の部屋にいた。埃が厚く積もって、もう何十年も無人だったような薄暗い小部屋だ。開いたままのドアは蝶番が外れかけてぎいぎいと軋んだ音をたてている。真鍮のノブは錆びていて、朽ちかけた木肌がのぞいていた。振り向くと木馬には黒ずんだ黴が生えていて、一歩踏み出すと床が軋んだ音を立てた。
 窓に垂れ下がった暗幕も、下のほうがずたずたに裂けてしまっている。手をふれるとざらついた感触がした。ぼくは暗幕をあげて窓の外を見るのが怖くなった。
 ここを出よう。そう思って朽ちたドアへ向かうと、足元で何か光った。指先でそっとつまむ。
 砂糖の塊は、指に少し力を入れただけで脆く崩れてしまった。
 部屋をでて見下ろすと、石の円卓は表面を苔に覆われていた。階段を下りる。6段目は板が腐っていて右足で踏み抜いた。向こう脛をしたたかに打つ。顔から転んでそのまま一階に落ちた。石の床はひび割れて、隙間から草が生えている。
 よろめきながら玄関のドアを開けた。門へとのびるアプローチは予想に反してきちんと舗装されている。道の脇にはよく手入れされた草花が植えられ、りんごやプラムの木が青々とした実をつけていた。
 ああ、よかった。
 まだ間に合うかもしれない。
 ぼくは右足の痛みをこらえて一歩外へ踏み出した。
 とたんに足元の草が枯れ、茶色い残骸をぼくへとのばした。玄関から門扉に向かって毒の風が吹いたかのように、木々は見る間に枯れていき、大きな門は支柱だけになって蔦が絡みつくままになっていた。
 ジンクスだ。
 ぼくはふらふらと外へ出た。トラックもない。男も女ももういないのだ。
 からからに乾ききった風が、真正面から吹き付ける。反射的に閉じた目の端から、涙がこぼれた。
 骨はもういない。ぼくが撃ち殺したのだ。そんなこと、してはいけなかったのに。
 女の子はどこへ行ったのだろう。殺し損ねた僕の半身を、ぼくはこれからも追い続けなければならない。
 ぼくは聞き分けのないこどものように声を上げて泣きながら、獣道をがむしゃらに走っていった。

おわり

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