スリッパ


 デパートの五階で新しい室内履きを探していると、車椅子の男に声をかけられた。
「もしもし、あなた、履物をお探しではありませんか」
「……はい、そうですが」
 私は不審もあらわに答えたが、男は穏やかな声で言った。
「よろしければ、これをもらって頂けないでしょうか」
 差し出されたのは、白い箱だった。中には真新しいスリッパが入っている。ふわふわとした白いスリッパは、私の理想に近かった。
 しかし、どうにも話がうますぎる。
「中古品はお断りですよ」
 とりあえず言ってみたが、彼は平然としていた。
「この足で、履けるとお思いですか」
 そういって少しずらして見せた膝掛けの下に、男の足はなかった。
「ね、もらってくださいます?」
「……どうして私なんですか」
 そう、それが最大の疑問だった。売り場には他にも……白いふわふわのスリッパがよく似合いそうな、若い娘だっているのに。
「あなたなら、これにつりあうと思ったのです」
 謎の言葉を残して、男は去っていった。



 いま、その言葉の真意を考えずにはいられない。
 早速履いたスリッパはもう脱げそうになっている。私の爪先が失われてしまったからだ。このスリッパは履いた途端に私の足をついばみはじめた。
 履く前に少しでも確認していれば、それに鋭い歯が生えていることに気付けたのだが。
 困ったことに、私は肉を食われ、骨を噛み砕かれながらも全く痛みを感じていないのだ。
 そうこうしているうちにも、私の足はもう膝までになってしまった。ようやく、男の言葉の意味に思い当たる。
 ――あなたなら、これにつりあうかと思ったのです。
 『スリッパの食欲に私の体躯が』つりあう、ということだったのか。
 そう気付いたところで、さてどうしようか。私のすべてがスリッパの血肉とならぬうちに……。
 私はふと、部屋の隅にある白い箱に目をやった。



 デパートの五階で新しい室内履きを探していると、車椅子のおばさんに声をかけられた。
「ねえ、あなた、履物を探しているんじゃありませんか」

おわり

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